インターネットはインフラか否か
末端のサーバ管理者から見ると「サービスレベルが一定しない」というのは本当に自明のことであるのだが、一方で、物心ついた時(生物学的事実ではなく比喩的表現)には既にインターネットはそこそこ動いていたのでインフラ的な何かが動き続けるような幻想もあり、、、、、
- 作者: Cricket Liu,Paul Albitz,小柏伸夫
- 出版社/メーカー: オライリージャパン
- 発売日: 2008/12/08
- メディア: 大型本
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日本レジストリサービス(JPRS)技術戦略室の民田雅人氏は,「昔のインターネットの信頼性は“たまに落ちるのは当たり前”というレベルだった」という。元々インターネットはシンプルさと柔軟性を身上に設計されている。ネットワーク側の機能は絞り,高度な処理は端末側に任せる。つまり,最低限の仕様さえ踏まえていれば,どんな端末でもつなげるオープン性がある。また,全体の管理者はおらず,各インターネット接続事業者(ISP)が必要に応じて増強や相互接続を繰り返す自律分散型のネットワークだ。
こうした良くも悪くも“ゆるい”仕様のおかげで,インターネット上には様々なサービスが発展することになった。ユーザー数も増え,表面上は“インフラ”と見なされるようになっていった。だが現実はISPの運用・管理者の努力や,端末の機能向上によって,かろうじてバランスを保っているネットワークなのである。「電気や水道といった一般的な社会インフラとは成り立ちが違う。インターネットをインフラと呼んでいいのだろうか」(民田氏)。そんな疑問さえ浮かんでくる。