鵠沼海岸の歴史


茅ヶ崎、藤沢、鎌倉のあたりがなんか違う空気持ってるのはこういう理由があったのか。道もボロイけど綺麗なところあるしなあ。

460:研究する名無しさん
07/12/19(水) 09:49:16
鵠沼海岸・・・・いいなあ。都心から45kmも離れるのに土地代高いよ。
今でこそただのベットタウンだけど、昔は第一級の別荘地。ヨットハーバーとかテニスクラブとかあるねえ。
大物政治家が老後の庵を結んでいたのは大磯とかもそうなのでは。吉田茂とか。
江ノ島はもともと竜神信仰の島です。竜神様がいるのです。だから片瀬江ノ島駅は駅舎が「竜宮城」
この世と彼岸(あの世)の境目とされたのがあの江ノ島なのです。
そんな高い土地に住めないって?千葉の外房なら安いですよ。

461:研究する名無しさん
07/12/19(水) 10:22:51
1946-1950年(ごろ)まで逗子・葉山・鎌倉・藤沢・茅ヶ崎・平塚の海岸は米軍兵士の保養地として接収されていました。
日本人立ち入り禁止です。兵士がサーフィンしたから、湘南はサーフィン発祥の土地なのです。ゆえに極貧の戦後直後なのにDQN文化全盛でしたw
厚木基地横須賀基地から多数米軍兵士が繰り出してきてたのです。今は無いですけど藤沢や茅ヶ崎は特に米軍コンプレックスが強かったです。
なぜって?きらびやかなアメリカン=ウエイ=オブ=ライフをこれでもか!と見せ付けたから。沖縄とはまた違うコンプレックスを20年くらい持ったんでしょうね。
鵠沼海岸っていうのは米軍文化と戦前の文化人の融合文化の土地です。それに鎌倉武家文化と融合しています。
3層文化で成り立っているのですよ。