理研の大サイクロトロンの実験ノート発見
これでどんくらい実験が進んでいたかが明らかになるのかなあ。
しかし、割と素朴なところに残っていたのね……。
太平洋戦争中に東京都文京区にあった理化学研究所(理研)で造られ、日本の原爆研究開発計画にも組み込まれた加速器「大サイクロトロン」(重量220トン)の実験などを記録した日誌2冊を、仁科記念財団の中根良平常務理事(87)が20日までに、理研跡地にある同財団で発見した。
大サイクロトロンは日本の敗戦後、米軍が破壊し、東京湾に沈めた。日誌は、原爆研究の責任追及を恐れた理研の研究者によって焼却されたと考えられており、発見は初めて。戦中の理研での原子核研究を探る第1級の資料として注目される。
日誌の期間は、1942年7月〜43年1月と43年2月〜44年4月。A5判のノートに建造や実験の苦闘ぶりが、図面や数値入りで日曜日を除く連日、日記風に詳しく書き込まれている。
日誌は、当時の理研の資料を引き継いだ財団のロッカーで、本に挟まっていた。元理研副理事長の中根さんが本の整理中に偶然発見。「よくぞ残っていた」と感激する。