メインの論旨は悪くないのだがマスコミ色が強くて納得できない記事

なんか前振りは「ああ、こんなことあるよなあ」と思って読んでしまう記事なのだが、実例としてマスコミの生態が示されていて萎える、というおもしろい記事。

最近の若い世代には非常に多いような気がする。


 つもりくんである。


 正しくはどう分類すればいいかわからないし、実際にそんな分類を見たこともなく、私が勝手にそう呼んでいるだけに過ぎないが、事あるごとに“やったつもりなんですが”という言葉を返してくる子たちである。彼らが“つもり”を連発するのは、ミスをしたときや、こちらが期待していたほどの成果や結果を出せなかったときだ。

 私の周りでわりとよくある会話でいくと、こんな感じだ。

「悪いんだけど、1日現場を歩きまわって、拾ってきたコメントはこれだけ?」
「はぁ。ぼくなりに頑張った“つもり”なんですけど」

 つもりなのである。

 彼らが頑張っているのは私だってわかっている。


ここまではいいんだが、次から萎える。

 事件取材などは特にそうだが、私たちは容疑者の親族をはじめ被害者宅、さらにはその近隣住人宅を一軒一軒訪れては、事件を起こす前の容疑者の様子や事件につながる兆候、最近変わったことはなかったか等々を訊いてまわる。新聞、雑誌、テレビの報道、ワイドショー各社が同じことをする。


 容疑者宅のお隣さんなどはひっきりなしに取材陣が呼び鈴を押すものだから、いい加減うんざりして応対もしてくれなくなったり、中には半分キレ気味に、ときにはマジでキレて私たちを追い払おうとする人もいる。それでも話を訊かせてほしいと頼み込むのが我々の仕事で、邪見にされたところでいちいちめげているわけにはいかない。


 遺族宅を訪れるときはもちろん、事件と無関係の方々の家の呼び鈴を押すときは、申しわけないなぁ、悲嘆に暮れている真っ最中に心境を訊かせてくれなんて真っ当な人間のやることじゃないなぁといった良心を無理やり心の奥底に沈めて臨むのだ。私たちが現場でもらい泣きするなんてことはしょっちゅうなんですよ。マスコミを色眼鏡で見ている方にはご理解いただけないでしょうが。


マスコミは死ねばいいのに。